
落合平八郎広報事務所

社会に必要とされる人たちを
応援したい
「パーパス」という言葉に惑わされていませんか?
「社会的な存在意義」などと訳され、再認識することはとても大事なことです。
ただ、その言葉にこだわりすぎると「仏造っても魂入れず」。
大切なのはその先への「行動」ではないでしょうか。
何をしていいのかわからないと思うなら、私たちが一生懸命お手伝いさせていただきます。

「危機管理対応」って記者会見の練習をすることでしょうか?
クライシス発生時の想定問答やメディア対応などの準備や訓練も大切ですが、
広報パーソンだからこその「嗅覚」と「社内の交通整理」が必要です。
なんのこっちゃ、と言われればそれまで。
求められるのは広報と広聴のバランス感覚。
難局を乗り切るには何事にも動じない冷静さと強いハートが必要。
わたしが広報を志した理由
「自分が何を作っているのか、子供に説明できない」
クリーンルームのなかで聞いたこの一言が、広報という仕事を志すきっかけとなりました。
しかし、この時はまだ広報という仕事さえ、知りませんでした。
当時、わたしは半導体のエンジニアでした。クリーンルームのなかで生産設備に囲まれながら、
半導体デバイスの試作品を作っている時に、年齢が60歳に近い熟練作業者から相談を受けました。
その内容を聞いてとてもショックを受けました。
子供さんに自分の仕事を説明できない、というのです。
もちろん、子供さんにもわかるように、その作業者にはやさしい言葉を引用して説明しました。
しかし、問題はその内容云々ではありません。
どれだけ優れた設備を導入しても、それを操作する作業者の士気が低いと決して良いものは作れない。
最後は作業者が品質や歩留まりを左右する、というのがエンジニアとしての私の持論でした。
自分の仕事を子供に説明できない。それで本当に自分の仕事に誇りをもてるのだろうか。
ひょっとすると他の作業者もみな同じではないだろうか。
このままでは品質の維持向上はできない。どうすればいいのか。
そればかり考えるようになりました。
ある時、出張先で偶然読んだ業界紙に、私の部門で開発した新製品が紹介されていました。
驚いたことに、同じ部門の先輩が受けた取材に応じ、その内容が掲載されていたのです。
「新聞に載ってるやん!」
びっくりしましたが、それ以上に大変嬉しくなり、身近な人に見てもらいたくなりました。
「この新聞みてください、これが私の仕事なんです」と。
その時、あの熟練作業者のことを思い出しました。
「そうや、お父さんの仕事が新聞に出てると子供さんに伝えられればきっと喜ぶに違いない」
ただ、どうすれば新聞に記事を書いてもらえるのかがわからず、再び悶々とした日々が続きました。
数週間後、イントラネットに社内公募が掲載され、そのなかに広報部員の募集がありました。
業務内容には、新聞記者に記事を書いてもらうことだという主旨が記載されてました。
直感的に「これだ」と、運命の出会いを感じました。
しかし、生涯ずっとエンジニアであることを志していたわたしは迷いました。
ただ、このままではどうしようもない。広報という仕事はよくわからないけど、とにかくやってみよう。
意を決して応募したところ採用が決まり、広報部への配属が決まりました。
ちょうど技術広報を強化する予定で、エンジニアだったわたしに白羽の矢が立ったのです。
しかし、最初から広報の仕事がうまくできるわけがありません。当たり前です。
プレスリリースの文案はわたしの文字よりも上司の朱入れのほうがはるかに多く、いつも真っ赤。
「報・連・相(ほうれんそう)」が出来ないようではダメだとよく怒られ、
「君は広報に向いてない。はやく異動したほうがいい」とまで言われたことがありました。
今思えば「何糞」の連続でしたが、あれから20年以上がたちました。
その後、熟練作業者とお会いする機会はありませんでしたが、
あの一言があったからこそ、広報に携わる今のわたしがあります。
わたしの仕事が誰かのために役立っているという実感。
人に感謝される仕事がしたい。
これが広報パーソンであるわたしの存在意義、パーパスだと思っています。
落合平八郎
広報フリーランスになった理由
「それほど意見が合わないようなら、組織から切ってください」
まだ会社員として大きな広報部門のなかで仕事をいていた頃の話です。
中途採用で着任したばかりの広報部長とはいつも意見が合わず、つい口にした言葉でした。
今思えば若気の至りでしょうか。いえ、必然だったのかもしれません。
その半年後、その広報部長から告げられたのが「落合さんは総務部の危機管理担当に異動です」でした。
広報一筋20年で初めての異動。正直なところ、「本当に切られちゃった」とショックでした。
でも、思わず「ありがとうございます」と言い返してしまいました。
自分の意見をはっきりいうタイプのわたしにとって、滅私奉公型の組織は耐えられませんでした。
遅かれ早かれ、来るべきものが来たなという感じでした。
異動先の危機管理担当の主な業務は、防災訓練などのマニュアル作りがメインでした。
好きな仕事ではあるものの手ごたえがなく、どうしようかと悩んでいたある日。
スマホが鳴って画面をみると、懐かしい番号で着信がありました。
電話の主は、電機メーカー時代に一緒に記者説明会など行った経験がある方で、いまはベンチャー企業の社長をやっているとのこと。
内容は、あるBtoB向けの新製品をメディアに売り込んでほしいとの依頼でした。
新製品を世に出すにはどうしたらいいかと考えた末、わたしを思い出してくださったそうです。
もちろん、お断りする理由もなく、二つ返事でOK。
以前なら必要だった部門長への報告などもなく、ひとりで考えて行動。
おかげで、テレビや新聞で大きく取り上げていただきました。
一連の露出報告が終わった後、
その社長さんから「落合さん、ありがとう」と言われた一言が、とても嬉しくてたまりませんでした。
協調性がなく大きな組織からは干されたけど、こうして頼ってくれる人がいる。
その人たちのために汗をかいて成果を出し、喜んでもらって感謝される。
これほど幸せを感じる瞬間はありませんでした。
大きな組織で働く良さもあるけど、ひとり広報で仕事をしてみたい。
もちろん、すべて自己責任で自己完結。
独立するなんて考えてもみなかったことでしたが、
フリーランスという道があることに気づいた瞬間でもありました。
2020年8月に長く続けてきた会社員人生を終え、以来フリーランスの道を進むことに。
途中、大阪のベンチャー企業のお手伝いが転じて再び会社員になりましたが、初心に立ち返えり、2023年1月には退職。
改めて本格的にフリーランスとして活動を始めました。
華やかそうに見えますが、会社員と違って決して安定した生活ではありません。
仕事がない時にはバイトで生計を立てた時期もありました。
今思えば、わたしに異動を告げた広報部長には大変感謝しています。
こうしてわたしが思う「広報道」を信じて、人に感謝される仕事をし続けたいと思えるキッカケを作ってくださったからです。
※続く。
(追伸)わたしが考える「広報道」については別の機会でご紹介したいと思います。
そんなに身構えなくても大丈夫
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